梅雨の東京散策
久々の東京出張。
アフター5に何しよーかなー?
いろいろ行きたい所がある中、立ち寄ったのは
神楽坂にある
『毘沙門天 善國寺』。
善國寺が創設されたのは、桃山時代末の
文禄四(一五九五)年で、今からおよそ四百年前。
初代住職は
佛乗院日惺上人と言い、池上本門寺十二代の貫首を勤めた方。
上人は、二条関白昭実公の実子であり、父の関係で徳川家康公と以前から親交を持っていた。
上人が遊学先の京都より、本門寺貫首として迎えられてから九年後の天正十八(一五九十)年、
家康公は江戸城に居を移し、二人は再会することになった。
そこで上人は、直ちに祖父伝来の毘沙門天像を前に
天下泰平のご祈祷を修した。
それを伝え聞いた家康公は、上人に日本橋馬喰町馬場北の先に寺地を与えさらに鎮護国家の意を込めて、手ずから
『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためて贈り、開基となられた。
ここに毘沙門天を奉安する、
名刹・善國寺が誕生したのである。
徳川家の中で、法華経への信仰が厚いといえば、それは黄門様で有名な
水戸光圀公。
光圀公も、善國寺の毘沙門天様に信をお寄せになり、
寛文十(一六七十)年に焼失した当山を麹町に移転し、立派に再建されたのである。
この縁由により、爾来当山は徳川ご本家、並びにご分家の三郷のうちの田安・一橋家の祈願所となったのである。
当山はその後も享保、寛政年間と類焼の厄にあい、
殊に寛政四(一七九二)年の火事により、当、
神楽坂へ移転してきた。
今から約二百年前のことである。
尚麹町の遺跡は、今の日本テレビ通り、麹町三丁目交差点の脇の歩道に建てられている
黒御影の
『善國寺谷跡』の石碑により往時を偲ぶことができる。
明治・大正初期には、泉鏡花、尾崎紅葉、北原白秋など多くの文人・墨客達がこの辺りを闊歩し、大いに賑わった。
特に縁日の賑わいは相当なもので、人出のために車馬の往来が困難をきたし、山の手銀座と呼ばれるほど有名を馳せ、その混雑ぶりはまさに東京の縁日の発祥の地にふさわしいものであった。
昭和二十年の東京大空襲は、首都を火の海と化し、当山も灰燼に帰するところとなった。
しかし、同二十六年には毘沙門堂を再建、四十六年には地元各位を始め、有縁の方々のご賛助により、威容を誇る本堂・毘沙門堂が完成し、戦災後の復興が果たされた。
毘沙門天は、
インド出身の神様(ガネーシャではない)で、仏様、ないし仏法を守る役目を担い、
四天王の随一として北方守護を司る。
また、多聞天とも号し、文字通り、参詣者の願い事を《多く聞いて》下さり、
七福神のお一人として、日々福を授けて下さっている。
ちゅーことなので、いっぱいお願いゴトをしてきました。
大輪の紫の花を咲かせた
紫陽花に季節を感じて、梅雨の
じめじめも心地よくなりました。
7/22、23には、
夏の風物詩『ほおずき市』が開催されるようです。
それを記念して、7月限定で
『ほおずきストラップ』を販売中。
さぁ~次はドコイク?ドコイク?
と、
『せっかち病』の発作が・・・
銀座→
有楽町→
丸の内→
品川
と、いつもの徒歩コース。
しかもちょうど今、
夏の情熱バーゲン中。
案の定、お金をばら撒いてきました・・・。
え?
「何買ったの?」って?
そりゃーもう、
誰もが欲しがる『珍品』ですよ。
『きのこトランプ』 と
『∞(むげん)エダマメ』。
『きのこトランプ』:世界中の珍しいきのこ54種をトランプに。
きのこの名前を覚えながらカードゲームが可能
(一石二鳥)。
『∞(むげん)エダマメ』:マメ好きにはたまらないアイテム。
つまむとマメが出たりひっこんだり・・・。やりだすと止まりませぬ。
オモシロイでしょ!?気になるでしょ!?この
『∞(むげん)エダマメ』。
バンダイが発売している
『∞にできるシリーズ』。
『∞にできるシリーズ』は「“無限に楽しみたい”“ついついハマる”という本能を満たす」
がコンセプト。
この他に『∞プチプチ』、『∞ペリペリ』、『∞缶ビール』があります。
気になる方は、コレ↓をクリック!!
さぁ~!
yo!の選んだ
『∞エダマメ』は、どの
『おマメちゃん』がでるかなぁ~?
プニプニ。
こんなんでましたぁ~!!
い、いちばん
意味わからん顔ぢゃないっすか…?
いや、ちゃんと仕事してますよ。
アフター5です。
アフター5。
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